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zoom RSS 「できないこと」を許さない社会

<<   作成日時 : 2012/03/09 23:54   >>

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荒井裕樹さんの論考を読みました。
タイトルは、『生き延びるための「障害」』。
副題は、『「できないこと」を許さない社会』です。
ずっとモヤモヤと考えていたことが、全部ここに整理されて論じられていて、読んだとき鳥肌が立ちました。

荒井さんの記事はこちらです。
 → SYNODOS JOURNAL 2012年02月29日
こちらでも読めます。
 → BLOGOS

受けとめ方はそれぞれだと思いますが、ここでは私が共感したいくつかのポイントについて、少し書かせていただきます。
私は専門家ではありませんし、十分な知見や洞察力は持ち合わせておりません。
的外れな点がありましたらご容赦ください。

1.「障害」と「健全(健常)」の境界線

私はずっと、モヤモヤと考えていました。
障害者と健常者がいるのではなく、明確な境界線などない。
何が障害で、何が健常なのか。
誰が普通で、誰が特別なのか。
人の特性を、はっきりと区分などできない。
連続して存在するとも言えるし、全員障害者や全員健常者とも言える。
…そんなことを考えていました。

荒井さんによれば、発達障害やうつ病が広く認知されてきた昨今、境界線が見えなくなってきている、とのこと。
漠然と感じていたことに裏付けを得た心強さとともに、現在「健常者」という言葉に違和感を覚える理由も理解できた気がしました。

2.「社会の許容力」で決まる「障害」の境界線

私はずっと、モヤモヤと考えていました。
何が障害かは、社会によって大きく変わる。
誰が特別かは、社会によって大きく変わる。
日本では「甘えた人」でも、米国では「そういう特性のある人」。
現代では「障害者」でも、昔は「ちょっと変わった人」。
発達障害は、「医学と制度の進歩で、昔はわからなかった障害が認知されるようになった」のではなく、「昔は社会生活に困難をきたさなかったのに、現代社会では生きにくくなって表面化してきた」のではないか。
…そんなことを考えていました。

荒井さんによれば、『「社会の許容力」によって、「障害」の境界線も決定される』、とのこと。
そして、『「発達障害」が注目されることは、みなが余裕をなくし他者への包容力と寛容さを失っていく社会状況と、どこかでリンクしている』、とも。
全くその通りだと感じました。

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3.「生きにくさ」を「障害」で説明しようとする人々

私はずっと、モヤモヤと考えていました。
自分を、発達障害やうつ病と考える人が増えている。
診断されたわけでもない「自称障害者」もいる。
「コミュ障」「ADHD」などの言葉が、軽々しく使われているのも見かける。
苦手なことの理由がほしい気持ちはわかる。
完璧を求められる毎日から逃げたくなることもある。
皆、程度の差こそあれ、障害があるのだ。
それだけ、私たちは追い込まれているということか。
…そんなことを考えていました。

荒井さんによれば、自分には障害があるのではないかと考える人は、『むしろ「障害」を意識することで安堵感を得ようとしている節もある』、とのこと。
そして、『その背景には、「できないこと」を致命的なデメリットとする現代社会の非寛容化が潜在しているのかもしれない。』、とも。
私自身も苦手なことがいくつかあり、それを「もしかしたら軽い障害が原因なのかも」と思った瞬間もあります。
実際にブログのネタ帳には、「私の中の障害」というタイトルが、今も温められています。
ですから、そう感じること自体はわかる気がしていましたが、その背景が自分の特性や弱さだけでなく、非寛容な社会によるものでもあるということに、荒井さんの論考を読んで気づきました。

4.非寛容な社会を生き延びるために

私はずっと、モヤモヤと考えていました。
なぜ自分ができない理由を、他に求める人が増えたのか。
生きにくいと感じる人が増え、その理由を必死に説明する人々。
それは「言い訳」でしかないのか。
人は昔より弱くなったのか。
そしてそれは、社会が甘やかした結果なのか。
どうも違うような気がする。
…そんなことを考えていました。

荒井さんによれば、『「できないこと」が致命的なデメリットとされ、非寛容的に遇される社会では、何かが「できないこと」への理由をどこかに求めるという心理が生じたとしても、故ないことではない。』、とのこと。
自分ができないのは、自分が悪いだけじゃない、社会が厳しすぎるんだ。
そう考えるのも、ある意味正しいのかもしれません。
違う切り口の話ですが、発達障害と診断されると、「理由がわかってホッとする」人も多いと聞きます。
自分の生きにくさの正体は、誰でも知りたいのでしょう。
一方で、できない理由を自分以外にしか求めない人は、受け入れられないでしょう。
私も、「理由」と「言い訳」は違うと思います。
しかし確かに言えることは、「できないこと」を許さず、決して励まさない社会になったことが、生きにくい人やその理由を探し続ける人を増やす背景になっているということ。
荒井さんの論考を読んでそれに気づき、モヤモヤが晴れてきた気がしました。

そして最後の言葉、『「できないこと」を自覚することは、他者との関係性を紡ぎ出す新たなチャンスにさえなるのではないか。』に、私自身は強く励まされました。
自分の苦手なことを客観的に見つめ、自分にも生きにくさがあることを認めながら、非寛容な社会の中でどのように生き延びていくのか。
もう一度考え直してみたいと思います。

そして、日本社会の非寛容化の流れをどうにかしたい。

うまく書けなかったのですが、少しはわかっていただけたでしょうか。
私はずっと、モヤモヤと考えていました。
でも荒井さんの記事を読んで、薄暗い和室から縁側に出たときのように、目の前が明るくなった気がしたのです。
社会のこと、障害のこと、そして私自身のこと…。、
そんな気持ちを表現してみたくて、つたない記事を書いてみました。

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