「障害者」に勇気をもらったことはない

「障害者がハンディと闘いながら、それを乗り越えて頑張っている姿に、勇気をもらいました。」
TVのドキュメントなどの感想として、よく聞かれるコメントです。
しかし、私は「障害者」に勇気をもらったことはありません。

「障害者」から勇気をもらう心理は、次のようなものではないでしょうか。

・障害者は毎日大変な思いで生きている
・常に誰かの助けが必要で一人では何もできない
・何をするのも不便で希望など持てるはずがない
・自分だったら毎日泣いて暮らすだろう

・それなのにこの人は頑張った
・毎日血のにじむような努力をした
・普通の人より断然不利にもかかわらず
・本当に凄いことだ

・障害者はみんな頑張っている
・純粋で欲がなく美しい
・感謝の気持ちを忘れずに謙虚である
・障害があってこんなに不幸なのに

・それに比べて私はどうだろう
・障害者でもないのに不満ばかり言っている
・障害者でさえ頑張ればあそこまでできるんだ
・私も頑張らなければいけない

障害のある人が頑張ることを否定するつもりはありません。
その人が自分をとりまく環境で、工夫したり努力して結果を出したのなら、それは間違いなく素晴らしいことですし、賞賛されるべきことです。
ですから、私は「その人」が「そうしたこと」を素晴らしいと思いますし、勇気をもらうこともあります。
しかし私がその人を素晴らしいと思うとき、「その人に障害があったから」そう思うのではありません。
ですから、私は「障害者」が頑張ったことで勇気をもらったことはありません。
障害者という言葉に「 」をつけたのは、そういう意味です。

人権関連の研修で、次のような話を聞いたことがあります。
北欧の国に行った日本人が、「障害者の画家を取材しているのだが、紹介してもらえないか」と福祉関係者に頼んだところ、こう言われたそうです。
「画家で障害のある人はいますが、障害者の画家はいません」。
その人は画家として評価を得ているのであり、障害があるかどうかは直接関係ない。
どうして「障害者の画家」を取材したいのか理解できない、ということでしょう。

「障害者」に勇気をもらう心理には、次のような前提があるように思います。
 ・障害者は不幸である
 ・能力が低い
 ・環境が不利である

果たしてそうでしょうか。
障害があっても、幸せに暮らしている人もいます。
能力が高い人もいます。
恵まれた環境にいる人もいます。
もちろん、全員ではありませんが。

「障害者」は全員不幸でも全員幸福てもありません。
「健常者」が全員不幸でも全員幸福でもないように。
全員有能、全員恵まれている、も同様です。

「障害者」が頑張ったことではなく、「その人」が頑張ったことをそのまま賞賛したい。
そんな風に思います。

<関連記事>
 ◆「きらっといきる」は改革すべきか?
 ◆障害って大変なんだ!?

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック